結局はそうなのか

いつもへこむたびに人間なんてもともと大したもんじゃないというところから始めようと思う。

いつもそこからのスタートが理想であってそこからならばどんなことをしても何かしら積み上がっていくもんだと思う。

ただ、頭で理解するのと腑に落ちるというのは少し違っていて、スタート地点を変えるということはそもそもある部分では今まで否定していたものを肯定しなければならないということになる。それがなかなか難しい。

特に否定することで得意となっていた部分があるとすると、それを肯定することは二重に難しくなる。

そういうのをうまいことごまかしながらやってきたが、そろそろ全面的にいろんなものを肯定してもいいんじゃないかと思う。ただ今まで否定していたそれらもろもろを肯定することは間違いなく物事を考える切り口が変わるわけで、そうなるとやはりゴールまでどういう展開でやっていくのかということも変わってきて、結局スタートからゴールまでの過程ほとんどが変わってしまうのではないかと不安になる。それはもうある意味言語が変わってしまうぐらいの変化であると思う。

でもそろそろゆとりとか肯定とか丸みを帯びたものをうまい具合にブレンドしてやらなければいけないと思う。ハイブリッドとかブレンドってあんまり好きな言葉じゃないけど、そろそろしんどい。

人間のいろんな絶対量というものは決まっていて、その中でどういう配分でやっていくのかっていうところのその配分を少し変えないといけないのではないのだろうか。これはもう過去の自分に対するギブアップなのであるが、本当にギブアップできるのであろうか?

うまく切り抜けられる解釈はないのだろうか。