井の中の蛙

 井の中の蛙であることに気づいた。世間を完全になめていた。本心は、自分は何か特別な才能を秘めていると思っていたが、それが、覆らない事実を見せつけられるとともに瓦解した。まさに、井の中の蛙

 でも、これを契機に奮起することを決意した。誰にも他人には譲れないことが一つや二つはあると思う。その喪失はすなわち、自我の喪失を意味する。
 SOFFetの『人生一度』では、国立大学に通い、社内恋愛の末に結婚した妻と、2000万で購入した一件家で暮らす男が歌われている。そしてこう続く。


「生きるという義務課題を難なくこなすが実は何一つ彼は気付かない/喉が渇いた時にはもう水はない」


こうはならないためにも、譲れないことを守るためにも、努力しようと思う。例え、外から見ると、愚鈍で、無様であっても。それに、何か偉業を達成した人は、どんな人も血の滲むような努力をしている。そろそろ、寝食を忘れて努力する時期だ。

 その過程の記録として、今日からブログを綴っていこうと思う。記録を残していくことは大切だ。書くことで、思考が整理され、さらに、次の思考へと飛躍していく。思考の連鎖が、何か偉大な哲学を大成するかもしれない。さらに、近い未来、今日のブログを振り返って、初心を思い出すかもしれない。いずれにしても、もう決めた。

井の中の蛙、大海を知らず」。広い世界を知らず、無知であることを例えることわざだ。しかし、実はこう続くらしい。


井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知る」。


じっと空を見ることで、蛙はその深さに気づいたという。
自分もじっと耐え忍んで努力することで、何かを得たいと思う。