そして,何者でもなくなった.

そして,何者でもなくなった.まあ,もともと何者でもなかったのだけど.
想像を絶する苦悶の末,僕は大学院に行くことに決めた.
一部始終は以下の通り.

「長期的に考えると新聞社の方が良いんじゃないか」と僕の頭.

「今,大学院に行きたいのなら行ったら良いじゃないか.目先のことを考えて行動するより,今の気持ちを優先すべきでは」と僕の心.

「月に4,5回も宿直するのは,しんどくないか.例え地方勤務の期間だけだとしても.いや,若いうちなら大丈夫ではないか」と僕の体.

三つ巴の戦いの勝者は心でした.やっぱりカント,ニーチェがおっしゃる通り,経験的認識を馬鹿にしちゃあいけませんね.理系の技術を学びたいという欲求,もう少し学問をしてみたいという欲求は意外と大きかったです.おそらく,今回の決断における最たる要因であったと思います.僕のこれまでの大学生活の7割は,工学部での授業と新聞サークルでの活動が占めていた.でも,大学生活の大半を占める活動でありながら,工学部の授業がすべてではない,そして,新聞サークルの活動がすべてではないと感じていた.
それは,大学を卒業したその先にあるメーカーや新聞社を見据えての感覚だった.

メーカーに関しては,液晶テレビや高機能を搭載した携帯電話など世に多く普及している商品が,環境や使用者の立場など様々な要因を総合的に考慮して,絶対に必要だとは思っていない.しかし,車の排出ガスの削減,医者にとって難易度の高い手術を補助する医療機器など,メーカーなどの技術が社会に貢献するところも非常に多いとも思っている.

新聞社に関しては,世の中の不正や不正義を追求することが,必ずしも,不正や不正義の改善につながらないと思っている.当たり前だと言えば当たり前だが,談合やリコール隠しや捏造などが耐えないのは,企業の根本的な組織体質が変わっていないなど,問題の根本的な改善にはなっていないからだと思う.しかし,新聞社が問題提起することで,日の目を見ていないけれど,悪質な犯罪,異常な現状が改善される契機となることは言うまでもない.

このように,僕は,どんな仕事,活動にも一長一短があるということを日々感じていた.これは,僕が俗に言う文系の人々とともに活動し,俗に言う理系の人々ともともに活動したからこそ感じていた感覚だと思う.究極的に一般化すれば,文系の人は,例えば,パソコンやホームページなど理系分野に関することとなると「理系のことはわからんわ」とお手上げ状態で,理系の人はまた,「銀行とか証券のどこが良いの?」とのっけから蔑視を決め込んでいる.そんな人々と接しながら僕は,文系の仕事,学問も大事であるし,理系の仕事,学問も大事である,と感じていた.そして,仕事を決定する段になってもこの思い,感覚は薄まるどことか,新聞社と大学院という両極地を相対的にみることで強まっていった.

だから,僕は悩んだ.新聞社をとるか,大学院をとるかという選択はこれまでの大学生活を送ってきた僕にとっては酷だった.だから,決めた.大学院に行き,そして,ルポルタージュ的な活動もこれから個人的に継続していくことを.

でも,正直言って僕は,おそらくルポルタージュ的な活動の方が興味があるし,真剣に取り組みたいと思っている.でも,だったら新聞社に行けという話しだが,僕が現段階で取り組んでいきたいと思っているルポ的な活動は,あくまで自分が主体だ.自分が興味,関心があることに対して,取材,現場を見て,そして,あくまで自分にとってその対象はどいういう位置づけなのかをできる限り明瞭にしていきたいと思っている.もちろん,新聞社のエントリーシートに書いたように,伝えたいことはある,どちらかというと山ほどある.でも,それは,事実を伝えるという新聞社の最たる目的とは違ってくるとは思っている.僕は僕のフィルターを通して見たことを感じたことを書きたがっている.それは,自己実現とか虚栄心とかではく,僕自身がそういう文章を好むし,そういう文章から多くを学んできたからだ.小説でも,完全なフィクションよりもノンノンフィクションのような,作家の人生や思いが色濃く反映された小説の方が説得力を感じるし,面白い.ノンフィクションでも,新書のような事実の羅列よりも,稲泉連沢木耕太郎のような作家のフィルターを通した作品の方が,偽善的な要素がなくなって好きだ.だから,僕もそのような物を書いていこうと思う.

ある意味,今回の決断は,問題の先延ばしというよりは,俗っぽく言えば,挑戦であると思っている.これから,大学の友達など周囲の人々と同じレールの上を走りながら,同時に僕はもう一本のレールを走ることとなる.それは,乗客のいない電車だ.一歩間違えば回送電車になる.そういう状況で,いかに努力を継続できるか.とにもかくにもやるしかない.

長々と書いたが,結論としては,僕は社会をなめきってるね,完全に.そして,夢見がちだね,極端に.

          *       *      *

今日を持って,僕は学部生における就職活動を終える.3年時の10月ごろから今日に至るまで,半年以上に渡って,就職活動をしてきた.今思うことは,就職活動は結局,就職するための試験なので,大事なのは,就職してからいかに努力するかだと思う.面接で聞かれる志望動機や大学生活は,受験生が実際に社員となった場合に,どこまでやれるかというのを見極めるための手段である.だから,よく就職活動は運とか縁とか言うが,僕は全面的にそれを否定する.もし,本当にその会社に入りたいのであれば,当然,受験生はその会社の業務,試験内容を調べるだろう.調べようとすれば,おそらく面接で聞かれるであろう7割ほどの質問は想定できるのではないだろうか.そして,面接で聞かれることは,「どこまで本気でうちの会社に入る気があるんだ」ということにつきると思う.だから,会社のことを調べつくしたら,面接で本当に会社が求める人材を演じればよい.大事なのは,入ることではなくその会社でどう働いていくかなのだから.
少なくとも僕が経験してきたコンサル,新聞社の面接はそうだった.だから,僕は彼らが求める人物像と僕自身が合致することを積極的に話すようにした.そうしたら,問題なく通過した.
就職活動は,大学受験と一緒だ.結局は,選択と集中と戦略と学習だ.業界を絞って,職種を絞って,会社のことを調べて対策して,自己分析して,後はひたすら面接で学習する.それだけで,大抵の会社には受かるだろう.大事なのは,そこでいかに頑張れるかだから.

そして,就職活動を通して,本当にいろんな人に助けられたと思う.特に一緒に新聞社の面接の対策をした人々には感謝してもしきれない.情報を共有する以上にお互い高め合えたし,傷もなめあえた.傷をなめあえる人々と就職活動をできたというのは本当によかったと思う.やはり,未知の物事に挑戦するのに,不安はつき物だ.傷をなめあうことで支えられることも往々にしてあることを知った.そして,精神的に追い込まれている時も,理不尽な事で怒ってしまった時も,些細なことで喧嘩してしまった時も,いつも支えてくれた人,ありがとう.

今日でこの究極的自己満足ブログは終わりにします.もともと就職活動の自己分析のためのブログだったので,続ける理由はもうありません.振り返ってみると,日本全国のブログと比較しても,これほど虚栄心に満ち満ちたブログはなかなかないのではと思っています.これからはもっとましな文章書きます.

それでは.