ハロー、ポール・ニザン
「ぼくは、その時20歳だった。その年齢が人生で一番美しい時だなんて、誰にも言わせない」。
言わずもがな、ポールニザンの「アデン・アラビア」での一節だ。
ポール・ニザンは、戦時のフランスの共産党員であったが、独ソ不可侵条約に反対して、離党。周囲からの誹謗中傷を受けながらも、反体制を生涯貫徹した。哲学者のサルトルは、彼に対して次のような言葉を残した。
「この生涯は、この毅然たる妥協の拒否によって説明される。
彼は反抗によって革命家になった。
そして革命家が戦争に譲歩せねばならなくなったとき、
彼は過激な自己の青春を 再び見出し、反抗者として終ったのだ」。
おそらくポール・ニザンは、この言葉に、戦時の劇的な思想、世論、国際情勢の変化に対し、反対体制派としての断固たる決意をこの一節に込めたのだろう。しかし、その背景には、20歳という年齢、時代への羨望と現況への失望が加味されている気がしてならない。若者が安易な未来を描くように、栗が刺々しい殻で覆われているように、強い心理の裏側には脆い核心があると思う。つまり、彼は、自分の反体制派という在り方を肯定するために、また、肯定しなければ、自身の存在意義を失ってしまうがために、そう言わざるを得なかった。鉄でできた皮膚を纏わねばならなかった。
話は変わって、僕は今日、21歳になった。ただ、1月22日から23日に日付が変わっただけと言えばそれまでだけど、切りのいい年齢が終わったのを契機に思索に耽るのもいいと思う。
そもそも、先に挙げたように、ポール・ニザンは20歳の齢には、既に自身の行動規範なるものを確立し、それは、後々生涯のテーマとなった。
そこで思うのは、自分はどれほど確立した持論なり、傾注できる物事を持っているのかという事を考える。偉業を達成した人は、若き頃から、独自の判断基準、世界観を持っている。そして、その世界観をどこまで研ぎ澄ますかに多くの時間を割いて、勤んでいるのだと思う。例えばイチローがそうだ。彼は、想像を絶するプレッシャーの中で結果を残すため、自身のバッティング技術を相対的、主観的、双方から評価し、改善点を絶えず探している。驚くべき一言がこれだ。「プレッシャーを技術で越える」と。
これまでの20年間を振り返ってみて、譲れないこと、大事にしてきたこと、というのは何となく見えてきた。だから、これからは、その世界観をどこまで、研ぎ澄ますかにかかっている。そのためには、努力あるのみだ。これからも、尋常じゃない努力をしたい。ロシアの文豪、トルストイはこんな言葉を残している「天才とは、異常なる忍耐者のことを言う」と。
そういう意味で、10年後、20年後、自身の譲れない物を守るために、
「ぼくは、その時20歳だった。その年齢が人生で一番美しい時だなんて、誰にも言わせない」。
と言えるおっさんになっていたいと思う。それは良い意味の偏屈であると思う。