モダンなカフェーとの攻防

 今日、梅田のモダンなカフェーに行ってきた。通常なら、梅田は、牛のごとく低速な群集に「ちんたら歩くなや」と叱責したくなるほど歩調をかき乱され、俗物を観察、消費していくだけで時間が経過し、「もうこない時間たってしもた」と一日を無為にしてしまったという自己嫌悪に陥るため、所用がなければ、立ち寄らないようにしている界隈だ。

 数ヶ月ぶりに梅田に到着して、まず、その人海に圧倒された。そう言えば、今日は金曜のアフターファイブである。
「今日、飲みに行かへんか」
「いや、仕事がまだあるんで」
「今日は金曜アフターファイブやで」
「ほんまでっか、ほなら、一杯だけ」
といった按配で、ここかしこのビルから、人々が蝟集してできたのがこの人海だ。無機質な街に、無知蒙昧の群集が集まる。これぞ、無個性の傑作だ。などど、その人海を卑下し、せせら笑った。しかし、それと同時に、今日日、その人海と溶融しかかっている自分も認め、「酒なんて、毎日飲んでるわ」と人海との差別化に傾注しながら、梅田の界隈を歩いた。

そして、到着したのが、モダンなカフェーである。
店内には、10数台のテーブル席があり、壁際には、ソファーも備えてある。照明は暗く、魂を吸われそうなアップテンポの洋楽が大音量で流れる中、黒のシャツとパンツという清廉な身なりの店員が働いている。席について周りを見渡すと、銘々に趣向をこらした服装をした、女子大生と思しき集団や背中がぱっくり割れた衣服を纏った女性二人組み。

直感したのが、これ違和感である。
それもテーマパーク的な違和感。偽造された空間で、偽造された既定の楽しみを享受するような感覚。大半の客が、その事実を認知していないにも関わらず、さも偽造のサービス、空間を熟知しているかのように、平然と振舞う場。

そして悟った。これは、モダンなカフェーから自分への挑戦状だ。
「私どもはお客様に満足していただくため、完璧なサービスを提供いたしております。まあ千に一つもないと思いますが、何かお気に召さないことがありましたら、何なりとお申し付け下さい。まあ、あなたごときに当店の崇高な理念を理解していただくというのはどだい無理なことだと思いますが。け、け、け」。

何と由々しき事態だ。店に入った刹那から、このモダンなカフェーの本質を見抜いた自分を侮蔑するとは。しかも、よくよく観察してみれば、店員らはこちらを見てにやにやしているではないか。

となれば、このまま、黙っているわけにはいかない。何としてもこのモダンなカフェーの、脆弱さを指摘して店員に「申し訳ございません」と言わしめなければならない。

と、周囲をきょろきょろ見渡して、店員、店内のあら捜しを開始した。照明の電球が切れていないだろうか、無愛想な店員はいないだろうか、しめしめ。


もぐもぐ、きょろきょろ。ごくごく。きょろきょろ。にやにや。


が、食事も終盤に差し掛かって焦り始めた。このモダンなカフェーの店員といい内装といい完璧に近いのである。店員は、少し目配せすれば、すぐに「ご注文ですか」と近寄ってくるわ。完食した皿を回収するタイミングは、丁度良いわ。誕生日の客には、バースデーミュージックを流しながら、花火のついたケーキを贈与するのである。

しかも、あまりにきょろきょろしていると、誤って店員を呼んでしまい、そのくせ、何も用件がないとなると、これますますモダンなカフェーの術中にはまってしまうのである。

そこで、もう戦のことなど忘却したといわんばかりに、自暴自棄になって、酒飲み、飯食いしてやった。「戦争なんて今日日時代遅れ、今時、対話が肝心ですよ。腹を割った対話が。けけけ」なんて、うそぶいてると、何と最後にバースデーミュージックとともに、小生の誕生日を祝うケーキが運ばれてきたのである。

これはもう、完敗である。とほほ。