志望動機

昨日から考えていることがある。昨日の朝日新聞説明会で、内定者の方と話した。その方は、志望動機と入社して何がしたいかは、しっかり固めとかないと突っ込んで聞かれるとおっしゃった。それを、聞いて脳裏に浮かんだのは、


志望動機は、文章を書きたいから。何がしたいかは、文章を書きたい。


これじゃあ、書類選考で落ちる。だから、志望動機は、各社によって変わるので、漠然としていた何がしたいかということについて書きとめてみようと思う。

まず、僕は、権力のチェックとか企業の不正を許さないだとか、そんなに大きなことをやりたいと思わない。そもそも、そんな傲慢な意識があるから、メディアスクラムや過熱報道などの報道被害がなくならないと思う。悪いことは悪い。それを報道するのは確かに必要だ。でも大事なのは、あくまで、話を伺わせていただく立場にあるということを常に念頭に置いておくことだと思う。僕が思う理想のメディアのあり方は、各社が追う大きな事件事故や政治のニュースは、どこかの新聞社が代表して、取材して、その情報を各社で共有すればいいと思う。それによって、ニュースの画一化、無個性化に繋がるかもしれないが、ニュースの個性よりも、被取材相手の精神的な配慮の方がよっぽど重要だと思う。他の調査報道や特ダネの発見に独自性を出せばよいと思う。ほどんど同じような原稿を書くにもかかわらず、取材相手に大勢で、迫るのはいかがなものなのだろうかと思う。


だから、僕が新聞を通してやっていきたいと思うことは、小さいことでも、改善されれば、社会や人々の生活がより良くなるような報道がしたい、ということである。


具体的には、サークル活動で、様々な取材に携わった。あしなが奨学生が開催する、ウォーキングイベントでは、参加者の大多数が、生命保険会社の社員で、会社から奨励されているために、来たという人ばかりだった。聞けば生命保険会社が毎年これだけボランティアしてますよというPRに使うという。そのようなボランティアのあり方はどうなのだろうか。ボランティアを受けるる側の気持ちをないがしろにしていないだろうかと、その時、強く疑問に感じた。それと同時にこれをもし、新聞で報じることができれば、共感して、自発的にボランティアを行う人が増えるのではないだろうか。これまで、強制的にボランテイィアをしていた人が自発的にしようと思ってもらえるのではないだろうか。それが、学生新聞ではなく、もっと社会的影響力のある新聞で、報じてみたいと思ったきっかけである。

そのほかにも、能登半島地震被災地の仮設住宅で、入居者の健康状態を把握するために、毎日欠かさずに全世帯を巡視する人とであった。僕はその話を聞き、何て思いやりのある活動なんだと思った。この活動をもっと広げていけば、どんなに仮設住宅の人が快適に暮らせるだろうかと思った。その時にも、やはり、学生新聞ではなく、一般紙、地方紙で報じたいと思った。


このように、新聞で小さなことでも、人間生活で重要なことを報じて、少しでも他者への無関心、思いやりの欠如を減らし、良い社会になってくれればと思うのである。それは、情報量が多く、信頼性のある新聞でしかできないことであると思う。