あらたにす

日経、朝日、読売の共同運営サイト「あらたにす」が開設した。社説や一面、社会面などのトップ記事を比較できるらしい。記事をクリックすると、実際にPDF化された紙面が、拡大して読めたりするのだと期待していたが、そうは甘くなかった。リンク元の各社の速報ページにとぶだけだった。少し肩透かしをくらったけど、仕方ないか。新聞社は新聞が商品なのだから、無料で紙面を公開するほどばかじゃない。と、斜陽産業と言われている新聞業界について少し考えてみた。


読売新聞は現在、1000万部以上の発行部数を誇る。朝刊一紙が130円だから、1000万部だと、一日で13億円、一ヶ月で39億円の売り上げ。だいたい広告費と購読料が売り上げの半分ずつであることを加味すると、一ヶ月で78億円の売り上げということになる。これは驚きだ。廉価で、ほどんどテレビ番組表としてしか活躍していないかもしれない新聞が、実は一日で広告費込みで26億円もの値段で、売買されているのだ。それは、容易くネットでなど公開できるわけがない。新聞社が今後生存していくためには、ますます紙面を重宝しなければいけなくなる。


しかし、問題となってくるのは、これまで通り売り上げを確保できるのかということだ。


たしかに新聞によってしか、得られないことは多い。その一覧性により、ニュースの重要性を判断するのが容易で、掲載されてる情報量も多く、解説記事も充実している。その結果、読者は今社会がどのように動いているのか、どのような問題を抱えているのかなどの端緒をつかむきっかけとなる。新聞が提供してくれるサービスはそういった意味で、ネットでは、享受することができない。しかし、問題は、そのように社会をマクロ的に捉えたり、社会に蔓延している問題について考察したいという需要が今後継続して
いくのだろうかということである。


ネットと紙の媒体であれば、今後10年はまだ紙が強いと思う。何故なら、僕を含めて日本中の学生は、小学生から、今日まで、紙媒体で勉強してきたからだ。子どもや若者の本業は勉強だ。その勉強を紙媒体を通して行ってきたのだから、無意識のうちに紙媒体に信頼を寄せ、無意識に紙媒体を求めてしまう。意識ではなく、もはや無意識に紙媒体のイメージは定着している。だから、意識して感じるネットの利便性よりも、無意識に定着している紙に信頼をよせる傾向は、小学生がネットやパソコンで授業を受けるようになるばでは続くであろう。


では、新聞の場合はどうか。昔は、一家に一紙が当たり前だったのではないだろうか。けれども、現在の20代で新聞を読む習慣があるのは約20パーセントだ。おそらく、このまま、働き出しても、新聞をとらない学生が増加していくであろう。そうなれば、その子どもも新聞に触れることなく育ち、当然、一人暮らしをはじめても新聞をとらなくなる・・・。このように悪循環が続いていくと、新聞の購読率の低下に歯止めがかからなくなる。


新聞は歴史の記録としても、社会への問題提起としも、その果たす役割は大きい。だから、やたら改革が重宝される今日この頃だけれども、僕は、新聞の紙面における路線はそう変えなくてよいと思う。ということは、消費者を扇情するに限る。新聞の面白さや必要性をどんどん売り込まなければならない。人間は、イメージで行動する動物だ。だから、そのイメージにどんどん訴えていかなければいけない。NIE(newspaper in education)はそのいい例だ。もっともっとすべきことはあると思う。


と新聞について熱く語っていても、テスト勉強で、読めていない新聞はどんどん溜まっていくのである。とほほ。