墓地と竹内浩三

家の近くを散歩していたら、墓地があって、枝と幹だけの桜の木、しかし、威厳のある桜の木が佇んでいたので、中に入ってみた。


中に入って驚いたのが、墓の多さだ。住宅と住宅の間隙にある素っ気ない墓地かと思っていたのに、奥行きがあり、おおよそコンビニ6店舗分ぐらいの敷地面積だった。その敷地に雑然と、墓が乱立していた。墓は、碁盤目状に整然と区画整理されていると思っていたので、その雑然さにも驚いた。


驚いてばかりだが、どの墓にも花が添えてあり、手入れがしっかりと行き届いていることにも驚いた。遺族の方々が毎日欠かさず、手入れしているのだろう。毎日忘れられずにいられることほど、死者にとって幸せなことはないだろう。
墓に備えられた花と、墓の横で朽ち果てた切り株を見ながらそんなことを思っていた。


ぐるぐる墓地を回っていると、戦時の陸軍一等兵の墓があった。墓石には、その一等兵は、戦時、満州で負傷し、満州の病院で戦病死したということが彫ってあった。享年は20歳だった。


有り余るほどの可能性を試すことなく、20歳で戦死した、一等兵。どんな思いで満州に行き、どんな思いで、戦ったのだろうか。


有り余るほどの可能性があると吹聴し、その実何も行動しない、21歳の自分。その先にどんな未来があるのだろうか。


墓を眺めながら、稲泉連の「ぼくも戦に征くのだけれど 竹内浩三の詩と死」という著書を思い出した。本著は、23歳にして戦死した、竹内浩三という詩人の人生を丹念に追ったノンフィクションだ。詩人であり、映画監督を志していた竹内浩三が、戦地に赴くまでの、心の揺れ、戦争への思い、描いた夢を実姉へのインタビューや日記をもとに辿っていく。そこに描かれているのは、夢を持ちながらも、夢を達成することのできない現実に向かい合わなければならない苦悩。若くにして、不条理ながらも、戦争、死という現実に向かい合わなければならない苦悩である。竹内浩三の残した有名な詩がある

「骨のうたう」


戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や


白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった


ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や



安穏と日々を過ごすのではなく、毎日精一杯生きたいと思うのである。