薬害肝炎

共同通信エントリーシートの作文課題が「和解」と判明した。おそらく、薬害肝炎訴訟の和解について記述しなければいけないのだが、なかなか難しい。5年にも及ぶ、訴訟から、どんな普遍的な教訓を見出せるのか。


薬害肝炎訴訟は、出産時や入院時の血液製剤の投与によって、肝炎を併発した患者らが、国と企業に謝罪と賠償を求めている訴訟だ。これまでは、被害者の救済が血液製剤の投与時期によって区分され、一律救済でないことと、国が責任を明確に認めなかったことが問題となっていた。原告は実名を公開して訴えるなど、一律救済を切実に所望し、このほど、一律救済を決定する被害者救済法が議員立法で成立し、被害者を投与時期によって区分せず、カルテなどで血液製剤の投与を証明することができる患者を一律に救済することが決定した。さらに、福田首相は原告に直接謝罪し、法文には、国の責任を認める記述をするなど、問題は一気に解決へと向かった。しかし、カルテで血液製剤の投与が証明できる患者は約千人程度で、推定するB型、C型肝炎の患者は約350万人いるなど、まだまだ、真の意味の「一律救済」ではないというのが次ぎの課題となっている。


ここで、僕が気にかかるのが、あくまで、原告は、国に対して責任と謝罪を頑なに求めたことだ。何故、原告がそこまで頑ななのか、僕には何となくわかるような気がする。おそらく、原告らには、二度とこのような惨事を起こして欲しくないという願いがあるのだろう。自分らと同じように苦しい思いをする人がいなくなるように、この過ちで得た教訓を次に生かして欲しい。そのためにも、責任を認め、原因を精査し、これからの医療に役立てて欲しいという思いからだろう。


何故そう思うのか。僕は、大学生活のJR尼崎の脱線事故の取材で学んだからだ。被害者や遺族の方々は、講演会で、JRを批判するのではなく、ただ安全運行を求めていた。二度と同じような事故を起こさないように、安全を追求して欲しいと訴えていた。もう誰にも、同じ苦しみを味わって欲しくないという痛切な願いからだった。


事件や事故の被害者や遺族らは、絶えずその思いを主張してきた。大事なのは、国や加害者が、訴えの真意をしっかり受けとめるかだ。そして、その教訓を実行に移すかどうかだ。今回の薬害肝炎では、国の責任を記述するかどうかで、政界は揺れた。しかし、大事なのは、記述そのものではなく、何故記述するのか、その真意を読み解き、実行することだ。


現在、医療では、医師不足や救急患者の受け入れ拒否など、日本の医療体制が根本から崩壊しそうな現状である。にもかかわらず、診療報酬の見直しや勤務医師の増加には、財政不足などから、大きく見直すことができなかった。本当に、原告らの訴えを国は形式上ではなく、誠意をもって受け止めたのか。疑問に思わざるを得ない。