集団行動について

今日は、産経新聞の説明会に行き、その後に、朝日新聞のベテラン記者の方と話をさせていただいた。ジャーナリズムまみれの一日だった。


産経の社風を一言で表せば自由闊達だ。志やアイディアさえあれば、どんどん新規事業に着手したり、書きたい記事が書けるらしい。書きたいことを書けるということは、文章を生業としたい者にとって、魅力的過ぎる。ビール会社で例えると、産経新聞は、サントリーかな。シェアは少ないが、プレミアムモルツという、最高金賞の輝きがある。朝日は切れのあるアサヒで、読売は苦味のしっかりしている麒麟かな。何となく。思えば、携帯産業にしても、菓子産業にしても、大手企業の分類の仕方は同じなのかもしれない。


閑話休題。しかし、逆に産経の自由闊達さは、一般的に言われるように、何かしらの弊害を兼ね備えている。例えば、情報の信憑性の問題、各記者にかかる負担の大きさなど。一概に自由闊達が良いとは言えない。


では、自分はどうなのか。組織に守られていたいのか、孤軍奮闘を貫徹したいのか・・・。これまでは、組織に属しながら、反骨精神を貫いてきた。小中高のサッカー部でも、監督が言うことが、絶対ではない、必ず正しいとは限らない、という意識でやってきた。集団スポーツをしながら、個人競技に憧れてきた。大学のサークルは、特にグループとして活動する機会が少なかったので、やりたいようにやってきた。一人で物事を考えるのが好きだ。本を読むのも好きだ。やはり、自由闊達な社風が自分に合うのだろうか。


なかなか自信が持てない。自分は、毎年正月には、「年賀状なんか虚礼にすぎぬ、誰からも受け取らなくてもいい」とうそぶきながら、その実、何通届くか、どきどきしながら、待っているわけで、一人がいいとか言いながら、その実、誰かに理解して欲しかったり、かまって欲しいと思っているのである。何と偏屈な性格か。だから、本心は、集団行動を自ら望んでいるのかもしれない。そして、その照れ隠しのために、いつも権力者に対して抗弁しているのかもしれない。これまでの経験を精査すると、多分にその可能性はありえる。