最高のオナニーを求めて

昨日書ききれなかった、朝日新聞ベテラン記者の話。


その方は、18年記者をやられている方で、気さくな方だった。端的にその方がおっしゃったことをまとめると、「記者なんて、自己満足で、でも、面白い」ということらしい。その言葉を聞いて、今まで残っていたわだかまりがスッと消えていった。その言葉に、物凄く共感できたからだ。記者は、他業種に類を見ないほどの激務だ。プライベートと仕事の境はあってないようなものらしい。その中で、長年継続していくためには、高い志がいると多くの記者の方はおっしゃる。確かにそうだと思う。辛いときに、その何故記者になりたいと思ったのかという原点に回帰するからこそ、自分を奮起させることができるのだと思う。しかし、その志なるものは、往々にして、記事を書くことで、社会に貢献したいだとか、感動を与えたいというものであると思う。そこで、僕はいつも疑問に思ってしまうのだ。もし、僕が記者になったとして、一体どれほどの人が、自分の記事を読み、変わろうとしてくれるのか、また、社会が変わるのか。そう考えると、どうしても、志というものを持てないのだ。確かに社会に貢献したいという思いはある。けれど、その思い自体が傲慢なのではと思ってしまうのである。だから、ベテラン記者の方の、「特ダネなんて、自己満足だよ」という言葉に失望するどころか、安堵を覚えた。そう思って、18年間も継続してきた人がいるということを知れてよかった。


では、何故自分が、まさに自己満足の職業に就きたいと考えているのかだ。それは、どうせなら、最高のオナニーを追及してみたいという思いからだ。どんな仕事でも、100%社会のためになるという仕事はないと思う。競争により、格差が生じたり、社会的弱者が搾取されたりするのが産業であり、経済であると思う。だから、綺麗ごとを排除すれば、結局はどんな仕事をするにしても、自分が納得できるかどうか、自己満足できるかどうかが肝心なのである。そう考えたときに、僕は、文章を書きたい、文章を書いて人の役に立てれば、納得ができると思うに至ったのである。だから、自分にとって、最高のオナニーが新聞記者であると思うのだ。最高のオナニーなら、何十年でも、毎日続けられるであろう。まあ、オナニーの後に残るのは虚無感だけだろうけど。