具体性
昨日は、久しぶりにサークルの友達と会った。何故か自分は、いつも暇だと思われている。他の人が「忙しい」と言うと「ああ、そうか」となるのに、自分が「忙しい」と言うと、「まあ、ええやん、遊ぼうや」となるのだ。それはそれで嬉しいのだけど、僕は忙しい。けれど、嬉しい。まあ僕は単純な人間なのだ。
梅田の落ちついたバーで飲み、カラオケに行った。久しぶりにカラオケに行って気づいたのが、自分が好きな歌は懐メロばかりだ。ブルーハーツ、小田和正、井上陽水・・・最近の歌手では、くるりと山崎まさよしが好きだ。僕が好きな歌手について、少し考えてみたら、そこには共通点があった。それは具体性だ。くるりも山崎まさよしも驚くほど、歌詞が具体的だ。
くるりの「東京」より
雨に降られて彼らは風邪をひきました
相変わらず僕は何とか大丈夫です
よく休んだらきっとよくなるでしょう
今夜ちょっと君に電話しようと思った
そこには、愛だの恋だのというフレーズは一切含まれない。具体性により、聴き手の想像力が触発される。だから、想像力の触手を伸ばすのが楽しいし、曲に深みがあると感じるのだ。そもそも、今の世の中には、抽象的な産物が多すぎると思う。愛を歌っている歌手に、何となく感動する若者。精神論を語る企業に何となく共感する若者。その愛や精神論は一般化されているもので、その人にそのままデコとボコの関係で当てはまるわけではない。にもかかわらず、そのデコのでっぱり具合やボコのへこみ具合を吟味することなく、無理やりはめ込もうとするから、何も有益な関係が構築されないのだ。
物事は往々にして複雑だ。一般論ではなく、具体性から自分にとって有益な情報を抽出するべきだと思う。んなことを言いながらこれも一般論か。