続・最高のオナニーを求めて

毎日毎日考えている。就職のこと。というか、これから何がしたいのか。


昨日は、コンサルティング会社の面談で、社員さんが、うちのビジネスは、企業の人、組織の問題にまともに向かい合い、解決することで、企業の生産力をあげるものとおっしゃった。通常のコンサル会社なら、問題の解決案をレポートにして提出することで良しとするところをその会社は、企業の組織内に入り、協同で、問題を解決していくらしい。
ふむふむ確かにビジネスとして成立する。僕は、基本的に企業の組織、社員の意識を変えるには、制度やシステムではないと思っている。そんなに簡単であれば、JR尼崎の脱線事故イージス艦「あたご」の衝突事故なんて起きないわけで、問題を未然に防いだり、再発防止するためには、人の意識が変わらないと根本的な解決にならないと思う。そういう意味で、その社員さんがおっしゃったことには共感できた。
しかし、気にかかったのが、企業の生産力をあげるということだ。企業の生産力が上がれば確かに、商品やサービスが市場に多く出回り、売り上げや利益も上がるだろう。しかし、その結果どうなるのだろうか。消費者は、広告に扇情され、次から次に新しく発売される物が、必需品であるかのような錯覚に陥り、次から次へと物を購入していく。企業は、そのニーズの転換の速さに遅れをとるまいと、新製品を次ぎから次へと開発していく。そしてその繰り返し。もはや、現代社会は、物そのものの恩恵を享受するのではなく、物を消費することが目的と化しているのではないかと僕は思う。物は本来の寿命を終えることなく、短命で捨てられ、その分ゴミが増えていく・・・。そして、環境問題へと繋がっていくのだ。


僕は、特に大学に入ってから、このように消費過剰優遇社会や他人への無関心過剰社会や均一志向社会や一大事にも顧慮しない社会に疑問を抱き続けていた。ここで言う社会というのは、日本全体を比喩するものではなく、もっと小さな学校や友人といった小さな範囲でのことを言う。


小奇麗な服装で、空気がよめて、政治や社会問題には無関心で、テレビさえ見ていればオーケー。休日は、もちろん、ショッピング。


楽しければそれでいいのだけど、違和感が拭えなかった。そうしてる間にも、中東の自爆テロは耐えることなく、アメリカでは、異常気象でハリケーンが発生し、中国の河は枯れ、日本の救急患者は病院に受け入れられなくなった。


どこかが、狂ってきていないか。それとも、もともと世界はこんな調子なのか。何がおかしいって、その考え方やと思うねんな。


政治は常に受動的で、根本の解決にはならない。企業は利を過剰に求めなければ存続できない。NGOは資金不足に喘いでいる。


僕には、何ができるのだろう。どうすれば社会に貢献できるのだろう。でも、はっきりしているのは、やっぱりしかるべき優しさや知識や考え方をみんなに持ってほしいと思うことなのである。それを、伝えたいのである。