頭の中がカユいんだ

中島らもの「頭の中がカユいんだ」を読んだ。らも曰くノン・ノンフィクションという新ジャンルらしい。ノン・ノンフィクションだから、結局はフィクションじゃないかと思いきや、読んでみると中島らもの意図していることがわかった。本書は、中島らもの実体験を基調としたフィクション。随所に中島らもの妄想や作品としてのフィクションの展開がちりばめられている。つまり、中島らものエッセイのようで、エッセイでない作品。ノンフィクションのようで、ノンフィクションでない。ノン・ノン・フィクションなのだ。


内容は、中島らもらしい、緩みっぱなしの著書だった。しかし、中島らもが、印刷会社で勤務している時の状況が、ユーモラスに皮肉って綴られているのが印象的だった。中島らもは「くだらない仕事はくだらない」とはっきり言うために、仕事に必要な知識を寝食を犠牲にして、得ていった。しかし、後に印刷会社での仕事がただ謝るだけの仕事だということに気づき、体調を崩した。そして、コピーライターへと転職したという。おそらく、中島らもの作家としての原点はここにあるのだろう。あとがきでこんなことを書いている「現実というのはあまり愉快なものではないから、せめて書きもので創る世界は水気のない大笑いの大地にしてやれ、という意図にもとづいている」と。


確かにそうだ。この本のどのまとまった文章も、9割はユーモアで、1割が真実だ。でも、この9割があるからこそ、らもが言わんとしていることが伝わる。いつも、穏健な人が急に毒づいたことを言うと、場の空気が凍りつくのと一緒だ。
全てが真実味た文章は逆に胡散臭い。9割のユーモアが1割の真実を真実たらしめるのだ。文章というのは、実に奥深い。


頭の中がカユいんだ (集英社文庫)

頭の中がカユいんだ (集英社文庫)