迷い

 おかしな話かもしれんけど、読売新聞か大学院で迷っている。何故かと言うと、新聞社の内定を貰った時に、素直に喜べなかったからだ。半年間努力して、対策した辛さが報われたというよりも、新聞記者の多忙さ、辛さが急に、よく振ったコーラを開けたようにどぼどぼ噴出してきた。だから、あんまりうれしくなかった。だから、その後3、4日は本当に悩んだ。どれくらいかというと、食欲がなくなり、電車で立っているのが辛くなり、あまり眠れなくなるほど。だから、その原因をとことん突き詰めた。そして、二つ見えてきたことがある。まず、僕は、主体性、つまり自学自習やマイペースに物事をこなすことに喜びを見出す人間であるということ。もう一つは、現在の研究が面白いと感じていること。僕は、大学生活で、新聞サークルに所属していた。その活動で、事実を伝える仕事に就きたいと思い、新聞記者を志した。そして、願いが叶う半歩手前まで漕ぎつけた。しかし、後半歩が踏み出せない。何故か。新聞記者の本質は、世の中で起こったことを追いかける仕事だからだ。僕は、サークル活動では、自分の取材に行きたいイベントや問題を取材していた。しかし、新聞記者は違う。世間における、問題なり事故なり躍進なり不正なりがまず、第一にあり、その物事に対し、アプローチしていく仕事である。それゆえの楽しさがあり、辛さがある。僕がひっかかったのは、ここだ。その辛さだ。夜中にたたき起こされること。事故に24時間はりついていること、その他もろもろの不安要素に対し、僕は疑問を抱かずにやっていける自信がない。僕は、忙しさを嫌う傾向にある。自身のペースで何かを学ぶ、行うことに喜びを感じる。学生新聞も、自身の作りたいように作ってきたから楽しいと感じたのであろう。
だから、選考を通して、騙し騙しやってきたことが、決める段となって、噴出した。正直にその不安要素と向き合わなければいけない事態となった。その自身の人生を決定する選択という極限の状態で、でてきたのが大学院進学という選択肢だ。もっと専門知識を学びたい。もっと技術を身につけたい。医療機器という分野を知りたい。という欲求だ。この前向きな欲求が、僕の不安要素をさらに刻銘に浮かび上がらせた。

だから、どちらにしようか迷っている。大学院は逃げ道ではないのか。新聞記者でも、想定しているよりも、ひどくはないのではないか。研究職で本当にやっていけるのか。

いつまで経っても決めれそうにない。だから僕は提案した。自分自身に提案した。とりあえず、研究職の仕事について調べてみて、それでやっていけそうだったら、大学院へ行こう。研究職さえも、辛い仕事と感じたら、新聞記者になろう。どちらもきついと感じるなら、どの仕事についても同じだ。それならば、新聞記者でやりたいことを実現しようと。

だから、僕は調べることにした。研究職という仕事を。それから決断することにした。自身の将来を。もうこれが最後の選択であると思う。ここまでこれてよかった。この半年間本当にしんどかった。でも、最後の選択が一番重要だ。棒高跳びで言えば、跳躍する一歩手前まできている。しっかり考えて決めよう。そう思った、祝日の昼下がりの公園で。