あまりにもさんざんな

あまりにもさんざんな毎日を送ってきた。大学院進学に向けての勉強、体調の悪化、精神の崩壊・・・。腐ったバナナみたいに本当に救いようのない状態が数ヶ月続いた。まだまだ万全ではないが、体調のことは棚上げして、とにかく精神的には文章を書ける状態まで回復したので、日記を書いていこうと思う。

とりあえず、健康というのは、本当に大事だと痛感した。大学で、自己陶酔しながら煙草吸ってる奴を見かけると、全員肺がんになればいいと思うほどに。精神と肉体の密接な関係。肉体に異常があると、精神もその余波をうける。思考も想像も気力も何もかもが衰退する。
そして、若さには限りがあるということも痛感した。自分は20歳を過ぎた。人間の肉体は30歳を過ぎれば老化の一途を辿ると言う。せいぜい若いと自覚してられるのは、あと9年。意外と短い。若さには限りがある。当たり前のようで、意外と自覚しにくい。だから、もっと、バカになろうと思った。刹那的に生きる。面倒なことは除外する。気分の赴くままに毎日を送る。大切な物事は究極的にごくわずかだ。それさえ、曲げなければよい。

そんなことを考えながら実家の飼い犬以下の生活を送ってきた。さて、暗い話はやめて、ここで、本の紹介。

将棋の子 (講談社文庫)

将棋の子 (講談社文庫)

将棋会には、プロになるための養成所のようなところがある。それが奨励会。ここで、プロの棋士を目指す若者が文字通り切磋琢磨し、プロという少ない椅子をかけて、真剣勝負をする。しかし、皮肉なことにプロになれるのはほんの一握りの天才の中の天才のみ。この本では、物心ついた時から将棋一筋で生きてきたにもかかわらず、プロになれなかった若者のその後の人生が描かれている。夢を強制的に諦めなければならない若者が、どう初めての挫折と折り合いをつけるか。
中でも、成田というプロを断念した人物の言葉が印象的だった。成田は、25歳で奨励会を退会し、10数年後、借金まみれになりながら、肉体労働で何とか生計を立てていた。それでも、成田は、将棋を憎んでいないという。将棋があったから今があるという。「将棋だったら大抵の人には負けない、そしてその実績が自分にはある」という自負が、肉体的にも精神的も過酷な毎日の生活を支えている。
その場面を読んだ時、成田の発言の真偽を疑ってしまった。自分が、幼少の時から25歳まで努力してきたことが実らなかったことを想像すると、その落胆は、大学受験で3浪が決定する瞬間をはるがに凌駕する度合いである。そう考えると、成田の将棋をさしていた時間が、心の糧となっているということを疑わずにはいられなかった。しかし、成田は心の糧としている。たとえ叶わなかったとしても、夢に向かい懸命に努力する時間は無駄ではないと言っている。


本を読み終え、そんな成田の生き様に少し勇気をもらった。