農耕民族

人間には、2種類のタイプがいると思っている。

農耕民族と狩猟民族。前者は、安定を求めて堅実に生活を送るタイプ。例えば一流大学に進学し、受験戦争から解放された反動から、アルバイトと遊びに傾倒し、4年間を送る。就職活動は、学歴というお墨付きをもらっているから苦もなく一流企業に就職。そのまま安定した生活を気楽に送っていく・・・。

後者は、自らの本能の導くままに挑戦、挫折を繰り返し生活するタイプ。

自分は、これまで、狩猟民族として、前線で活躍する人物だと自覚してやってきた。理系学部にも関わらず、学生新聞を作るサークルに入り、連日徹夜の日々・・・。どこか農耕民族ばかりの工学部の学生に反感を抱いていた。
しかし、現在の自分の状況を鑑みてみると、どう首をひねっても、農耕民族もしくは、第一線を退いた老兵の気がしてならない。

毎日何となく研究室に行って、研究し、週末は、研究室の人々と鍋をのほほんと食したり、気の向くまま、競馬をしたり、映画を見たりして遊んでいる。

農耕民族にはそれなりのよさがある。気楽。難しいことを考えなくていい、単調な作業を黙々とこなしていけばいい。しかし、どこか物足りない。

吉田修一の「長崎乱楽坂」には、狩猟民族になろうとしながらなれなかった主人公の成長が描かれている。長崎という片田舎で育っているということ、やくざ稼業を営んでいるという特殊な家庭事情にコンプレックスを抱きながら、いつか長崎から逃げ出すことを悶々と胸の内に秘め、実行しようとするが、家庭の事情からできないという話。
吉田修一の作品は、人物描写、風景描写が絶妙に良い。人物の微妙な感情のぶれ、高まりが、会話ではなく、些細な行動や風景描写でふんだんに盛り込まれており、物語に引き込まれる。

この本を読みながら、最近の現状を打破しきれない自分、いろんな物事に不満を抱いていた高校時代の自分が重なった。



幸運なことに体調と精神の揺らぎも良好に向っている気がしている。

そろそろ、戦線に復帰しようと思う今日この頃である。著書の主人公は言っていた。「何もしないっていうのもなかなか大変なものなんやぞ」と。

長崎乱楽坂 (新潮文庫)

長崎乱楽坂 (新潮文庫)