モラトリアム

 モラトリアム。大学に入ってから特に意識するようになった言葉だ。自由な時間を持て余し、自分がどの方向に向かって進んでいるのか見失う時期。他人とは何か違う才能があると盲信していながら、何も特筆すべき行動していないし、何の結果も残せていない時期。自分にもモラトリアムという期間は存在していたし、今でも存在していると思っている。大学に入って、目標を見失い、ただただ遊んでいた。けれど、遊ぶことで時間を潰すことに疑問も抱いていた時期がモラトリアムの始まりだった。大学1年の終わりごろから、自分の将来のために生産的な何かがしたいと強く思い始めた。そして、幾多のサークルを見て、落ち着いた所が新聞サークルだった。サークルでの活動は刺激に満ちていた。いい意味で、普通の大学生とは違う友人達と取材に駆け回り、部室の外で煙草をひたすら吸いながら語り合った。そして、今、サークルを引退し、就職活動を経て、悩みに悩んだ末に大学院進学が決まった。それでも、密かに路線変更して、文章を書いて飯が食える職業に就こうと画策している。そんな所在が不安定な自分はまだ、モラトリアムの真っ只中だろう。いい加減モラトリアムとの良好な関係は終わりにしたいが、もう少し時間がかかりそうだ。納得して、就職していく友人達が羨ましい。
 話は変わって、宇宙にとってもまだモラトリアムの時期は続いている。宇宙の全貌はいまだ明かされていないし、宇宙がどうして生まれたのか、つまりどのような物理的現象で発生したのかも解明されていない。けれど、宇宙の誕生のほんの一瞬後からの歴史は解明されてきている。このように、宇宙の誕生を探る人類の努力や、ダーウィンを中心とする人間の起源を探る研究が「銀河の時代(下)」に書かれている。いわば、銀河の時代(下)は、宇宙のモラトリアムの歴史であるといえる。
現在、宇宙の誕生後すぐに、宇宙が、インフレーションという現象により、様々な粒子が発生したと考えられている。インフレーションとは、誕生後すぐの宇宙が、真空の状態のまま膨張し、体積が増えることによる影響で宇宙の温度が下がり、宇宙が持つエネルギーが下がる。エネルギーは質量と等価であるので、エネルギーが下がることにより、質量が発生する、つまり様々な粒子が生まれるという現象である。そして、その後にビッグバンという大爆発があったと考えられている。もちろん、かの有名なホーキング博士が提案する「量子創造」という別の宇宙誕生の概念もある。
このように、いまだ宇宙誕生の確たる現象解明はなされていないが、その解明のため、様々な理論が展開され、実験が行われた。銀河の時代(下)では、特に20世紀に焦点をあて、20世紀は、素粒子物理学宇宙論が合わさり、飛躍的に宇宙の歴史の解明が進んだ世紀であるとしている。まず、素粒子物理学で明らかになったことは、原子がさらに小さな粒子、これ以上分割することのできない素粒子で構成されているということである。原子は原子核と電子で構成されている。原子核は陽子と中性子で構成されている。そして、さらに陽子や中性子は、それぞれクオークという素粒子3つで構成されており、陽子と中性子は、クオークに関係する強い力で結びついているということまで分かった。さらに、素粒子の世界では、陽子と中性子を結びつける強い力以外にも、重力と電磁気力、原子核ベータ崩壊に関連する弱い力があることが分かった。そして、素粒子物理学にとっての飛躍的な進歩は、電磁気力の運び屋である光子と原子核の弱い力を作用させる粒子が高エネルギーの状態では、同じ性質を示すということを証明したことにある。原子核の弱い力を作用させる粒子は、W粒子とZ粒子といわれているが、これらの粒子の存在が確定したことが何故飛躍的な進歩だったと言えるかというと、この発見により、宇宙の創世を解明できるかもしれないという光明が見えたことにある。つまり、高エネルギー状態での宇宙は、宇宙の誕生後すぐの状態を示しており、電磁気力と弱い力とが統一されていたということは、宇宙の誕生後すぐの状態では、電磁気力と弱い力とが一緒くたになっていたという事実が証明されたといこと、宇宙の歴史を遡ることができたということである。原子よりも格段に小さいスケールの現象を解明するということは、つまりは、逆の道を辿れば、真空の状態からいかにして素粒子が生まれ、原子が生まれたかという、宇宙の創世の過程を解明することに繋がったというとことである。事実、原子核の崩壊に関連する弱い力の正体が解明されてからは、素粒子に作用する4つの力はもともとは一つの力であり、宇宙が膨張していく過程で、エネルギーが減少し、4つの力に分岐していったという「大統一理論」や全く趣旨が異なる「ひも理論」など宇宙の全貌、誕生を解明しようとする理論物理学者の議論が活発になっている。
このようにして、銀河の時代(下)では、素粒子物理学宇宙論が合体したことにより、現在のインフレーション理論が生まれた過程を詳細に辿っている。宇宙について興味があるが、何を読めばよいかわからない人にとっては、おすすめの一冊である。
長い歴史的視点で見れば、人間の起源の大元は宇宙の誕生である。宇宙が誕生し、様々な原子が発生し、銀河、惑星、恒星が誕生し、やがて、地球という惑星で生命が誕生した。この本を読んで、否応無く人間は、他の動物や森や川などの自然や他の惑星と繋がっているということを思い知った。普段というか、これまでの人生でそんなスケールの大きいことは考えたことはなかったが、よくよく考えてみれば当たり前であり、不思議なことである。道端に転がっている石ころと祖先が同じだなんて、理解しがたい。でも、それはまぎれもない事実である。かといって、どうすることもないのだが、少し心の緊張が緩まったような気分である。今月のバガボンドの新刊で、沢庵が、自分は天と繋がっていると確信できた時に、すべての苦しみから解放されたと言っていたが、そんな境地なのだろう。

銀河の時代―宇宙論博物誌〈下〉

銀河の時代―宇宙論博物誌〈下〉