生物と無生物の間

 年が明けた。実家に帰ってくると、友達に会うこと以外に特にすることもなく、おせちと雑煮をつついたり、本を読んだりしながら過ごしている。ゆっくり過ごすというのはいいことだ。普段なら時間に追われて考えられないことも、あったかいストーブの火がかじかんだ手を少しずつほぐしていくように、有り余った時間が凝り固まった思考をほぐしていく。そして、しみじみと思う。ああ、文章を書いて飯が食える仕事がしたいなあ。やっぱり、自分の追求すべきことはそこにある気がする。今年はそれに向けて、努力していく一年にしたいと思う。

そして、こののんびりした時間を使って、前々から読みたいとは思っていた「生物と無生物のあいだ」を読んだ。てっきり、分子生物学の話で、DNAとはなにかについて、実験データを交えながら掘り下げて書いてある本だと思ったのだが、そうではなかった。DNAそのものの仕組みというよりも、研究者がDNAを発見するに至った過程や、著者が取り組んでいた、膵臓にある消化酵素を作り出す細胞の働きを調べる実験の過程など、分子生物学に取り組む研究者の姿に焦点があてられていた。そこには、生涯ストイックに一つの研究テーマを追い続け、遺伝子の正体がDNAであることを突き詰めたにもかかわらず、研究成果を学会などで否定され続けたエイブリーという学者がいること、他人の研究の成果を盗用することにより、DNAの構造解析に成功し、ノーベル賞を受賞した研究者がいることなど、同じ研究者でも、運や時期により境遇が千差万別であるという研究の不条理が描かれていれている。研究に費やした時間が多ければ多いほど、成果や名誉を欲する人間の欲深い一面は、きれいごとだけではすませられない研究者の内面を物語っている。淡々としていそうな研究者の世界で、生々しい人間ドラマが繰り広げられていることを本書は明らかにしている。

そして、個人的にもう一つ面白かったのは、生物は常に動的平衡状態にある、という考察である。動的平衡状態とは、例えば、人間がたんぱく質の素であるアミノ酸を摂取したとすると、その多くが糞として、排出されるのではなく、その多くが、肝臓、膵臓などの臓器の一部となり、排出されるのはごく一部となる状態のことをいう。つまり、人間が食べ物を摂取することによって、人間の細胞は刻一刻と生まれ変わる。けれど、肝臓や膵臓の全体的な形は変わらない。細胞一つ一つの変動は絶えず行われているが、全体的には平衡状態を保っているというのである。
当たり前といえば当たり前だが、自分が食べた物の大半が実際に内臓や筋肉の一部になっているという、感覚で食べ物を食べていなかったため、動的平衡状態を保っているという考察は、僕に食べ物に対する価値観を大きく変えさせた。最近は、事故米や毒物混入など、食べ物に関する事件が多く起こっていたが、どこか自分は、マスコミも消費者も過敏になりすぎているのではないかと思っていた。けれど、食べ物は人間の健康の上でおそらく非常に重要な要因だということがわかった。だから、もっと野菜とか健康的なものを食べないとだめだなあと思うのである。
まあそんなこといっても、今日もああこれが脂肪に変わるのかと思いながら、一日に何個も餅を食べているが。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)