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今日は、サークルの仲間の卒業式に行ってきた。友人は社会人になって、しかもおそらく山形あたりに飛ばされ、もう気軽に会うことはできなくなる可能性が高くなるので、祝いに行ってきた。ところが、その友人は、ゼミの友達と飲むとかで、全然絡むこともなく、留年して今年卒業した先輩らと一緒に飲んだ。その先輩は前々からしゃべりの凄さには感服していたのだが、やはり凄かった。6時ごろに飲み始めて、寝た4時ごろまで、ノンストップで喋りつづけていた。いつも思うが、引き出しの数が多すぎる。たぶん一日一個ずつぐらいのペースで増えている。
そんな先輩の能力を目の当たりにしながら、自分は何て引き出しが少ないものかと少しへこんだ。しかし、そんな弱気では、新聞社の面接は乗り切れないので、自分の良いところを考えることにする。
やはり、一番に思うことは、自称努力家である。これと決めたことには苦労を厭わず取り組める。むしろ、苦労しなければ、成長や目標を達成することは出来ないと思っているから、努力を好き好んでいる。座右の銘は「努力は人を裏切らない」である。
大学受験での、平均一日12,3時間は勉強していたし、大学に入ってからも、新聞サークルで、3日一度は取材に行き、月に3、4日は徹夜で編集作業をしていた。大学近くの下宿先で、サイレンの音を聞けば、カメラとノートを持って大学に駆けつけ、能登半島地震が発生した際には、現地に行き、被災者やボランティアに取り組む学生を取材した。そして、帰阪後には、号外を作成、配布した。そこまで、活動に没頭したのも、取材先で出会う人や見る現場から学ぶことが多かったからだ。JR尼崎脱線事故では、遺族の方の「今後10年かけてでもこの問題と戦っていく」という言葉を聞いて、人の命の尊さ、事故の悲惨さ、家族の絆を学んだ。能登半島地震被災地での、被災者の「もう生きている意味なんてない」という言葉には、地震がこれまでの生活を一瞬にして奪ってしまうという悲しい事実を知った。そういう風に、現場を見て、取材相手と接することで、多くのことを学んだ。そして、もっと学びたいという願望と、事故や震災で苦しんでいる人がいること、その人たちを支えようとする心温かいボランティアの学生らがいることを、一人でも多くの人に知ってほしいという思いがあった。そこに、人と人との繋がりや支えあいなど大切なことが凝縮されていると思ったからだ。また、どんなに小さなイベント、例えば、食堂で吹奏楽団がコンサートをやるにしても、職員の「もっと食堂を身近に感じて欲しい」という思いがあるように、どんな小さなイベントにも当事者の熱意や思いがあることを一人でも多くの人に知って欲しかったからだ。純粋にそういった熱意や思いは、胸を打たれるし、共感するものがあるし、伝えたいと思うからだ。
そうやって、自分の気持ち、目標を達成するために、地道に行動できるところは、自分の良い所であると思う。それと同時に、没入し過ぎて、周りが見えなくなることは悪いとところといえば、悪いところであるが、目標を達成する代償となるなら基本的に仕方がないと思う。しかし、今は、その短所を直すべきであるとも思っている。サークルを引退して、休むまもなく、大学院入試の勉強を頑張りすぎ、体調を崩した。結果、研究など、何もやるにしても中途半端な気持ちでしか取り組めなくなった。大事なのは、やるべきことはしっかりやって、無理をし過ぎずに、休むところは休むということである。そういったことは、体調を崩すということが、どんなに辛いかということを身をもって体験したことから言える。だから、現在は、基本的には、努力は大事であり、目標を達成するためには欠かせないが、目標を達成するためにも、自己管理、体調管理は大事であるということを肝に命じている。そして、それをこれかも続けていきたいと思う。そうすれば、目標には一歩一歩確実に近づいていけると信じている。