いつまで?

「100年に1度」「未曾有の」という修飾語を新聞紙で見ない日はない。米国のリーマンブラザーズの破綻を端に発した金融危機は瞬く間に世界に広がり、世界中の各国が不景気となった。
この不景気は、日本経済の構造的な欠陥を明らかにした。それは、派遣切りや雇い止めといわれる非正規労働者の不安定な雇用体系である。日本の約3分の1が非正規労働者であり、その筆頭である派遣社員は、雇用保険に未加入である人が多く、失業しても失業手当を受けられず、次の仕事を探すこともできずに路頭に迷ってしまうことが社会問題化した。
生活保護に関しても、申請しようとしても窓口で追い返される水際作戦が多く報じられている。このように、日本の雇用形態は正社員と非正社員の間で格差があり、非正社員が一度職を失うと、すぐに生活するにも苦しくなる状況に陥ることが判明した。
これは、戦後最長の景気拡大期間であった、ほんの少し前までは、ほとんど議論されなかった問題である。日本が不況に陥ることにより、生活のセーフティネットに綻びがあることが顕在化し、問題を改善するために議論が活発になった。そういった意味で、この100年に1度の不況は、人の生活や生き方を考える契機となっていると思うし、これをきっかけに、よりよい社会を作っていく必要があると思う。
では、よりよい社会とは何であるのか。それは私は、人々が互いに助け合う心を持ち生活していくことであると思う。非正規社員に対して、自己責任論を押し付け、企業や政府は何も配慮しなくてもいいのか。そうではないと思う。自己責任では、克服できない社会的な欠陥が浮き彫りになったからこそ、雇用保険の見直し、ワークシェアリングなどの導入による雇用人数の維持が必要になってくるのではないか。企業は経営を維持するために、リストラをするのは当然であるかもしれないが、リストラされた人々の生活はどうなるのであろうか。安易に非正規社員を解雇することに、経営者の良心の呵責はないのか。互いを思いやる心が欠如してはいまいか。
非正規社員が安易に解雇される現状を私たちは見てみぬふりをしてよいのだろうか。おかしいことはおかしいと発言すること、行動に移すことが大切なのではないだろうか。
100年に1度と言われる経済危機は、人々がどうすれば安心して暮らすことができるのかという問題を提起した。政府が企業が私たちがその問題に対して、真剣に考え、積もり積もった問題を清算するならば、きっとこの不況から脱出でき、よりよい社会になると思う。