NHKディレクターが講演

大阪市中央区の地域交流スペース「結」で、3月17日、NHK大阪放送局報道部の近藤誠司さんが「四川大地震の被災地を訪ねて」をテーマに中国四川大地震の被災地の現状を報告した。本イベントは、上町台地からまちを考える会が主催し、「100人のチカラ!」と題して、隔週でゲストが上町台地で研究内容などを報告している。近藤さんは、日本と中国の被災地復興の違いなどを紹介した。【3月17日】

四川大地震は2008年5月12日に発生、マグニチュード8.0を記録し、死者・行方不明者は87,476人、被災者は4,500万人に上った。近藤さんは、震災直後の被災地は、「遺体の腐敗臭が凄かった」と現地の様子を紹介した。日本でも、校舎の倒壊が多く報道されたが、近藤さんは「中国は一人っ子政策のため、子どもを失った親が悲しみに暮れていた」と話した。

復興に関しては、中国独自の取り組みが多くあることを紹介した。中国には、北京などの裕福な町が被害を受けた町を支援する、対口支援があり、仮設住宅、仮設図書館などが、震災後すぐに建設された。さらに、震災から1ヵ月後には、高齢者を対象とした生活費無料で終身保護の恒久住宅が建設された町もあるという。近藤さんは、対口支援のメリットは「迅速に支援できること」と言いデメリットは「支援をする町の対応がばらばらで、再建の格差がある」と指摘した。
さらに、中国では、政府とボランティアが毎週2回交流会議を開き、復興のあり方を議論していることも日本とは異なる点として紹介した。少数民族のチャン族は震災後すぐに観光業として復興していくことを決定し、メディアを通して、観光のPRをしているという。
このような中国の取り組みに対して近藤さんは「中国には再建よりも発展したいという思いが強いため、再建プランが多く出されたのではないか」と話した。

【取材後記】高齢者のための恒久住宅が建設されたり、政府とボランティアが意見交換したりと、政府と市民が団結して復興に尽力している様子が伝わってきた。日本でも、被災者やボランティア、行政が協力しながら復興していけるようなシステムがあれば良いのではと感じた。

仮設住宅撤去を目前に控えた今

能登半島地震からもうすぐ2年を迎える、石川県輪島市の山岸仮設住宅を訪問した。3月9日現在で、38世帯79人が入居する仮設住宅は、4月30日に閉鎖する。仮設住宅入居者は、公営住宅への入居手続きなどに奔走していた。【3月9日】

「敷金、礼金までは覚悟していた。でも、保証人の所得証明書までは提出できない」と入居者の女性は嘆いた。公営住宅に入居するのに必要な書類だが、例え身内でも所得証明書を頼むには気が引けるという。公営住宅への入居説明会は、2月24日から3日間仮設住宅で行われたが、仮設住宅入居者の本多安太郎さんは「何故早く説明しなかったのか。入居できない人が出てくるのが、見え見えではないか」と言う。そんな中、山岸仮設住宅の区長の藤本幸雄さんは、引越しの日程を決めたり、入居手続きの条件交渉をするなど、行政との調整に追われている。集会所のカレンダーには毎日の予定がびっしりと書き込まれ、胃を痛めているが「地震で助かった命、何かの役に立てれば」と区長として外部との連絡役をこなしている。

藤本さんは、2年間を振り返って「仮設住宅に何が必要で何がいらないか、いろんなことが見えてきた」という。その中でも、入居者の「本当の声を知って欲しい」という思いがあるという。周囲からは仮設住宅だけが優遇されているという風評がある。しかし、「4畳半の仮設住宅では、夏は暑く、冬は寒い。アクリルの毛布を使用しているために肺を悪くし、便秘になった入居者も多くいる」という。藤本さん自身、風評被害を恐れて、飲みに行ったのは2年間で1度だけだ。

5月1日からは、これまで一緒だった入居者らは新たな生活を始める。藤本さんは、「これからが大事。孤独死を防げるシステムができたら一番」という。藤本さんの夢は「能登半島に電車を走らせること」。輪島市が観光地として繁栄することを望む。本多さんは、自宅再建を決断し、ローンを組んだ。「35年のローンを払い終えるまでは、復興は終わっていない」という。

【取材後記】仮設住宅の入居者は、身体的にも経済的にもぎりぎりの状態で生活していることを知った。さらに、その現状を行政や周囲の人々が、正しく認識していないために、様々な摩擦が生じていることもわかった。地震は、いつどこで起こるかわからない。被災者には何の落ち度もない。にもかかわらず、周囲の無理解から不必要に苦しんでいる人々がいる。被災地の現状をしっかりと忘れずにいることから始めようと思った。

一考察

4月から大学をとりあえず卒業して、新聞社の就職試験を受けている。いわゆるフリーターというやつだ。大学院に進学する人、就職する人を尻目に一人停滞している感が否めない。
けれど、働くということに対してゆとりを持って考える機会にはなる。
働くということは、仕事をしてその対価として給与を受け取るということである。だから、特にサラリーマンなんかはやりたくない気持ちを我慢して、でも仕事だからと割り切って働いている人も多いと思う。というのも、一企業人として、働くということはそれはすなわち、会社のために働くということであるから、個人の意欲、意志とは関係なしに、やらなければいけないことをやらなければならないからなのだと思う。
では、何故、そのやりたくもないことをやらなければならないのか。それは、端的には生活していくためではないだろうか。働いてその対価として給料を貰い、まず自立した生活を送らなければならない。また、結婚や子どもができることによって、家族を養うためにも働かなければならない。そして、その自立した生活を送るために一番の簡単な方法が、サラリーマンとして企業に雇ってもらうということであると思う。そして、就活生にとって、ただ会社で働ければよいというのでは、あまりに味気ないので、やりたいことや好きなことに近いことができる仕事を血眼になって探すというのが、現代の就職活動の現状である。また、最近は不況で、就職氷河期の到来と言われているが、そういった状況を鑑みると、やりがいや好きなことよりも生活のために働くという意味合いが大きくなってきている気がする。
そう考えると、論理的には、最低限自立した生活を送ることができるならば、就職活動をわざわざしなくても良いということになる。個人の心情としては、就職して働いている人や町でスーツを着て歩いている人なんかを見て単純に羨ましいと思ってしまう。自身の不安定な境遇から一歩でも踏み出したいと思っているからである。しかし、上述した考察によると、働くということは、必ずしも華々しいことではないということがわかる。実際、去年就職した先輩は学生が一番だと言っていた。そういったことを考えると、やはり自身のやりたいことができる就職が一番なのではないかと思う。やりたいことをやれる比率が高いならば、ただ生活を維持するということ以上に享受できることが大きいと思う。特に新聞社であれば、様々な人と接して多くのことを学べるであろうし、文章力もつく。そういった意味で、やらなければいけないという嫌悪感よりも、やらなければいけない中で学べることの方が大きいと思う。
極論を言えば、フリーターであっても生活していこうと思えばしていける。だから、新聞社に就職するということは、さらなる成長を見越した選択であるのだ。そう考えると、何となく大学院に行っている人や、そこしか就職が決まらなかったからといって働いている人よりも、自分は安きに流されずしっかりとした意志を持っている。劣等感なんて感じる必要はないのだ。

メディアの果たす役割

これまで、書いてきたように、災害・減災といっても様々な側面がある。
関わる人を基準に分類してみると、
1.災害時の被災者
2.被災者を支援したり、防災マップ作りなどの草の根的な減災の活動を行うボランティア・教授・NPO
3.耐震化を進めたり、災害発生時には被災者を補助する国・自治
が挙げられる。
災害が発生した場合には、国や自治体が仮設住宅の建設などを行い、ボランティアなどが、被災者の心のケアをするなど、災害・減災において、それぞれ3者が果たす役割はどれも重要で、3者の連携がしっかりととれることが、大事である。そういった意味で、この3者は災害・減災において、それぞれの果たすべき役割を担っており、欠くことができない。
では、それぞれ分類された人達にメディアが果たせる役割とは如何なるものか。
まず、被災者に対しては、被災者が抱える問題を伝えることが挙げられる。それによって、新たな制度ができたり支援体制が整うことがある。さらに災害時には、ニュースとして、被災地の現状を正確に伝えることもメディアの重要な役割であるし、災害から得た教訓、よりよい救助、よりよい復興を推進するためにはどんなことが欠如していたかなどを伝えることも重要な役目である。次に、ボランティア・教授・NPOに対して、これは、人々に災害や減災について、興味関心を持ってもらうために重要であると思う。地域で防災マップ作りをしていることや、住民や専門家が意見交換をして、町の耐震化について考える場があることなどを伝えることで、他の地域がそのような取り組みを行うきっかけを与えることができる。そういった意味で、減災・防災の活動の輪を広げるということでメディア果たすべき役割はある。最後に、国や自治体に対してメディアができること。これは、国や自治体が進めている耐震化などの減災の取り組みがしっかりと実行されているのか、監視し、厳然たる遂行を促すことであると思う。調査報道などで、耐震化の進捗具合を報じることはそういった意味で重要である。さらに、中央防災会議など、国が出す施策を国民に伝えること,国が出した災害時における被害想定を伝えることも重要な役割といえる。

以上のように、災害・減災において、メディアが果たす役割は大きい。

耐震化

国や自治体が進める減災に関する施策において、主なものに住宅、災害時に避難所となりえる公共施設の耐震化がある。しかし、一般住宅において、耐震改修補助制度を利用して耐震改修をした住宅は、改正耐震改修促進法が施行された2006年以降、17政令市と東京23区で実際に利用されたのは、計約5100件にとどまっている。大都市では、耐震性を満たさない住宅が計約290万戸と推定される。大都市部で、耐震改修が進んでいない現状である。
自治体は、耐震診断を行う際に独自の補助制度を設けている。しかし、06年度以降、予算総額49億円が用意されながら、実際に制度を利用したのは、約2万5000件(22億円分)で、実際に改修が行われたのは、約5100件で、診断を受けた件数の2割程度。一般的な一戸建て住宅の場合、補助を受けても自己負担は100万〜200万かかり踏み切れない人が多いという。
さらに、小中学校の校舎や体育館の耐震診断結果の公表を義務づけた改正地震防災対策特別措置法で、実際に公表した自治体が全体の4割にとどまっており、財政難で将来の耐震化計画を立てられず、「公表すれば住民の不安をあおる」などが主な理由。震度6強の地震で倒壊の危険がある小中学校施設は全国で約1万棟あるなかで、耐震改修が進んでいない現状がる。

これらの事実から、自治体と市民の財政難により、住居や公共施設の耐震化は思うように進んでいない現状がはっきりと分かる。しかし、阪神淡路大震災では、住宅被害が全半壊だけで計25万棟に上がり、死亡した原因の約8割が住宅の倒壊による圧死だっただけに、来るべき震災に備え、早急に耐震化が促進されることが必要なのは明白である。自治体の中には、担当職員が一戸一戸個別に訪問して、耐震診断や耐震改修を促している所もある。費用のかかる耐震化を促すには、そのように、地道な息の長い取り組みが必要であると思うし、メディアも災害の発生確率や耐震化の必要性を伝えていくことが使命であると思う。

橋本知事

現時点では、順風満帆な合理化路線。しかし、府民の声を唾棄した政策や議会の支持を得られない独断に走ると危険である。
2年目を迎えた橋本知事であるが、現時点では、スピーディな政策の実行により、十分すぎる成果を挙げていると思う。国直轄事業の府の負担金を一部カットし、府職員の給与をカットし、不必要な事業を削減し、府の財政を考えうる手段を講じて財政を単年度黒字にした。太田知事では、解決できなかった問題を、橋本知事の持ち前の実行力で実現した。これは、これまでの遅々として進まない行政のあり方を根本的に変えたという意味でも素晴らしい成果であると思う。一方で、合理化を独断で追及する姿勢には、常にリスクがつきまとう。それは、独断であるがゆえに、府民が必要とする事業までも、橋本知事の采配一つで容易に削減することが可能であるということだ。そうなれば、府民の不満も溜まることになる。特にセーフティネット、や医療の面で、行政のサービスが低下することは避けたい。そういった意味で、2年目を迎える橋本知事を頼もしいと思う気持ちが半分、施策を監視する意識を忘れてはならないという半分である。

いつまで?

「100年に1度」「未曾有の」という修飾語を新聞紙で見ない日はない。米国のリーマンブラザーズの破綻を端に発した金融危機は瞬く間に世界に広がり、世界中の各国が不景気となった。
この不景気は、日本経済の構造的な欠陥を明らかにした。それは、派遣切りや雇い止めといわれる非正規労働者の不安定な雇用体系である。日本の約3分の1が非正規労働者であり、その筆頭である派遣社員は、雇用保険に未加入である人が多く、失業しても失業手当を受けられず、次の仕事を探すこともできずに路頭に迷ってしまうことが社会問題化した。
生活保護に関しても、申請しようとしても窓口で追い返される水際作戦が多く報じられている。このように、日本の雇用形態は正社員と非正社員の間で格差があり、非正社員が一度職を失うと、すぐに生活するにも苦しくなる状況に陥ることが判明した。
これは、戦後最長の景気拡大期間であった、ほんの少し前までは、ほとんど議論されなかった問題である。日本が不況に陥ることにより、生活のセーフティネットに綻びがあることが顕在化し、問題を改善するために議論が活発になった。そういった意味で、この100年に1度の不況は、人の生活や生き方を考える契機となっていると思うし、これをきっかけに、よりよい社会を作っていく必要があると思う。
では、よりよい社会とは何であるのか。それは私は、人々が互いに助け合う心を持ち生活していくことであると思う。非正規社員に対して、自己責任論を押し付け、企業や政府は何も配慮しなくてもいいのか。そうではないと思う。自己責任では、克服できない社会的な欠陥が浮き彫りになったからこそ、雇用保険の見直し、ワークシェアリングなどの導入による雇用人数の維持が必要になってくるのではないか。企業は経営を維持するために、リストラをするのは当然であるかもしれないが、リストラされた人々の生活はどうなるのであろうか。安易に非正規社員を解雇することに、経営者の良心の呵責はないのか。互いを思いやる心が欠如してはいまいか。
非正規社員が安易に解雇される現状を私たちは見てみぬふりをしてよいのだろうか。おかしいことはおかしいと発言すること、行動に移すことが大切なのではないだろうか。
100年に1度と言われる経済危機は、人々がどうすれば安心して暮らすことができるのかという問題を提起した。政府が企業が私たちがその問題に対して、真剣に考え、積もり積もった問題を清算するならば、きっとこの不況から脱出でき、よりよい社会になると思う。